スピーチや後輩への叱咤激励など、あらゆる場面で使われよく耳にする言葉である。
これは能の「世阿弥」の言葉だが、現代ではその意味を「物事を始める時に立てた目標や志・その時の思いを忘れてはいけない」と捉えていることが多い。しかし、それはそもそもの意味とは全く違っているようだ。上記の意味で使うならば「初心」ではなく「初志」となるであろう。
この言葉を発した世阿弥の真意は、「物事は上手になりはじめた頃が最も危険な時期」であり、事に慣れ,上達し始め,何か自信が出てきたときの自己満足への戒めである。
初心の頃味わった多くの屈辱や悔しさ・苦しみとそこを切りぬけるために要した様々な努力の上に今の自分があることを忘れ、元からこの様な才能があったなどと慢心し、日々の努力をも怠るようになれば、すぐに成り下がってしまう。
空手でも、帯の色が何度か変わり中級者になった頃から基礎をおろそかにする者が多く見受けられる。このことは最近に始まったことではないし空手だけに見られる事ではない。おそらく世阿弥が生きた室町時代の「能」の世界でも多く見受けられたことなのではないだろうか。
また世阿弥は、「初心の試行錯誤を忘れれば、壁にぶつかった時、初心の頃のような屈辱を再び味わうことになるであろう」とも言っている。
上級者になろうとも基礎を忘れず当たり前の稽古をやり込んでいる者は、組手スタイルに修正が必要になった場合に、その適応が早いことがこの言葉を裏づけているようにも思える。
では何故初心を忘れてはいけないのか。
それは、初心を忘れれば初心に戻るからである。
よく「初心に戻って頑張ります」というスピーチを耳にするが、これはとんでもない間違いである。
「初心」とは決して戻ってはいけない場所であり、かつ修行を続けるならばつねにあらゆる段階につきまといかねないものなのである。
いつでも、その時々に、初心を忘れずに行きたいものだ。
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