昇段までのオンリーワンのショートストーリー

誰もが憧れる極真の黒帯。そこまでが険しいからこそ、その道のりにはドラマがあります。空手との出会い、乗り越える力となった家族・指導者、そして仲間の存在。感謝と決意の言葉で締めくくられる昇段者たちのショートストーリーをお読み下さい。


  • 渡辺 悠(少年初段) ※2019年11月昇段
    • はじめに、今回の昇段審査を受けさせていただき、そして、昇段を認めていただき、ありがとうございます。

      自分は5才の時に羽田師範のもとへ入門しました。

      当時流行っていて僕も大好きだった「戦いごっこ」をやめる代わりに入門させてもらったのですが、道場には「戦いごっこ」とは比べ物にならない「本物の戦い」があったので、夢中になって稽古に励みました。

      幼稚園児の自分でも「黒帯」の存在は知っていましたが、「黒帯は普通の空手家とは異なる、とても凄い人」という漠然としたイメージしか持っていなかったので、入門当初は「自分もいつか黒帯を締められる空手家になりたいなぁ。。でも、そんなこと出来るのかなぁ。。!?」と遥か遠い夢に思っていました。

      入門した翌月に支部内試合の観戦に行ったのですが、生まれて初めて目にした「真剣勝負」が凄い迫力で、とても驚いたのを今もはっきりと覚えています。

      その試合の開会式で羽田師範から「勇気を出して今日の試合に挑戦してきた選手達は、試合に出るという大きな一歩を踏み出したのですから、この時点で既に一勝しているのです!!」とのお話があったのですが、その言葉が幼稚園児だった僕の心にとても響いて「自分も勇気を出して試合に挑戦してみよう!!」と、その瞬間に決意しました。

      そこから僕の空手選手としての活動が始まり、小さい大会から大きい大会まで、自分が出場可能な大会は全て参戦してきました。

      試合で勝ったり負けたりを繰り返しながら、その時々で定めた目標に向かって努力を続けていると、毎日が過ぎて行くのがとても早く、節目節目で昇級審査を受審して帯の色も徐々に上がり、いつしか自分も茶帯を締めさせていただける様になりました。

      その頃になって、今まで遥か遠くに見えていた黒帯が、あと少しで手が届きそうな存在になっていることに気付き「もっと頑張れば、もしかすると自分も黒帯になれるかも知れない!!」との思いが浮かび、夢が目標に変わって一層稽古に励みました。

      入門からあっという間に7年程が過ぎて今回の審査に臨みましたが、ひたむきに小さな努力を積み重ねてきた日々が実って黒帯に到達できた事が、とても嬉しいです。

      自分が今まで頑張れたのは、時には厳しく時には優しく導いてくれた羽田師範や指導員の皆様、同じ志を持って切磋琢磨してきた同志達、温かく支援してくれた家族のおかげです。本当にありがとうございます。

      黒帯になって、やっと空手の道を進むための入口に立てる様になり、そこから先が真の空手道なのだと思いますが、自分は心技体の全てに於いて、まだまだ改善したり磨いたりしなければならない点が沢山あるので、それらを改善し磨き上げながら少しずつでも空手道を前進出来る様に日々の努力を続けていく所存です。

      羽田師範が横浜港南支部を創設した時から築き上げてきた伝統や先輩達が代々紡いできた志を受け継いで、支部応援幕に掲げている「正々堂々」を自分の戦いで示して後輩達に伝えられる様な空手家を目指して頑張りたいと思いますので、これからもご指導宜しくお願い致します。

      押忍

      横浜港南支部

      渡辺 悠

  • 西川 嘉一(初段) ※2019年11月昇段
    • この度は、昇段審査の機会を与えていただきまして、ありがとうございました。
      羽田師範には心から御礼申し上げます。

      また、横浜本部道場で指導していただいた岩花指導員や道場生の皆様にお世話になったことを深く感謝いたします。

      私は、転勤族であり、今まで数年毎に転勤してきました。

      異動先の道場では、自分の意思で昇級審査を受審できましたが、昇段審査となると、師範から「そろそろ受けないか?」と肩を叩かれるのを待つというイメージでしたので、転勤族にとって黒帯を締めるということは夢の中のことでした。

      しかし、道場のホームページで昇段受審資格という規定があり、6つの内4つの項目を満たすと昇段審査の受審を自らの意思で申し込むことができることを知った時、黒帯になるためには、これしかないと思いました。

      自らの意思で受審する訳ですから、その分、厳しい目で審査されると思い、申し込むまでに自分の技量で大丈夫かと躊躇しましたが、この機会を逃すと夢の中でしか黒帯を締めることができないと思い、思い切って申し込みをさせて頂きました。

      受審規定を満たすためと技量を上げるために稽古を頑張ろうと思い、10回/月 以上の稽古回数を目標にすると、稽古時間に間に合わせる為に仕事のやり方を工夫することで自動的に働き方改革になっていたり、稽古に行くためにどうしても断れない飲み会以外は断るようになったり、腹回りの皮下脂肪が落ちてきたりと、合格する為に頑張ったことに付随して仕事や私生活が充実してきました。

      話しが脱線してしまいましたが、何が言いたいかと申しますと、極真カラテは私の生活の一部になっており、カラテを充実させると相乗的に仕事や私生活も充実したということです。

      仕事や私生活を充実させるためにはカラテを充実させる必要がありますので、初段を取得したことに奢らず、極真カラテのスタートラインに立ったという思いで初心に返り、これからも稽古に精進したいと思います。
      押忍

      神奈川横浜港南支部 西川 嘉一

  • 菅 羅桜(初段) ※2019年11月昇段
    • この度は、昇段審査の機会を頂きありがとうございました。
      師範や師範代並びに関係者の皆様、長年にわたりご指導してくださりありがとうございました。

      僕は5歳の時に、父と姉の3人で極真空手に入門しました。

      入門したばかりの僕は極真空手という存在も知らなかった為、最初は未知の動きをしている人を見て怖がってしまい稽古の時も母から離れることがなかなかできずにいました。

      それから11年半の時が経ち、その中で初めての学校生活、高校受験などといった山を超えながら稽古に励んだことが、昇段審査に活かされたのだと思います。

      入門してからすぐの時は恐れながらも好んで稽古に参加していましたが、何年かが経過してからは、スパーリングが痛いから行きたくない、怖いから嫌だ、お母さんから離れたくないから行きたくない、などと言って困らせていました。

      さらに、なかば父の強制で始めたこともありモチベーションも下がり、どのようにすれば稽古を休めるか、と言ったことを考える時期もあったことを覚えています。

      今まで出場した数々の試合では体格差に苦労し、思うような成果は残せていません。

      しかし審査後に師範が「体格に恵まれなくとも勝ち方に迎合せず、基本を積み重ねて組手のスタイルを変えることなく、真正面で恐れず向かい合うスタイルを貫き通したお陰で今の自分がいる」と仰った時は、正直泣きそうになりました。

      確かに身体が小さいことでたくさん悩み、一時は現在の組手スタイルをやめようとも考えました。

      それでも変えずに貫くことを決意したのは、成長した今の僕が思い返してもとてもすごい覚悟だったのだと思います。

      今の僕は準指導員という立場になり、たくさんの幼年、少年の先輩となり、自分のスタイルを一貫して、基本に忠実に打ち込んできた成果が、所作として後輩達に伝わっている実感があります。

      これからは教わるだけではなく教える立場になるので、今後も稽古に励みながら基本の大切さを伝えていきます。押忍。

  • 菅 充(初段) ※2019年11月昇段
    • 「極真会館の黒帯」

      この度は昇段審査受審の機会、ならびに昇段を認めて頂けたこと、誠に感謝申し上げます。

      また、改めまして、御指導下さる羽田師範、宍倉師範代をはじめ、諸先輩方、道場生、道場にかかわる方々、そしてあらゆる困難や不遇に見舞われながらも支え続けてくれた妻を筆頭に、家族に心より御礼申し上げます。

      2008年5月に娘・息子と共に入門し、当初から二人の昇段連続組手は私が最後の壁になると決意していました。

      今回は息子と二人で昇段審査に臨み、先に昇段した娘に次いで息子の最後の壁になる事が叶い、且つ私の連続組手では一人目を息子、十人目を娘で締めて頂けた事、更に親子共々初段を認めて頂けた事は、親子空手冥利に尽きます。

      私にとっての黒帯とは、まず脳裏に焼き付いている事は師範が仰っていた「極真の帯は2種類のみ、黒帯とそれ以外。黒帯以外は白帯と同じで空手をかじっただけの人」です。

      そしてある意味で極真会館の看板を背う事、日常や仕事でも私の行動が極真会館への尊敬・軽蔑どちらにも判断されうるという重みと責任を有すると考えています。

      諸事情で現在も不自由な身体ですが、一時は空手どころか普通に歩行も無理、と言われ無用な心配や不安を抱かせました。

      にもかかわらず、多くの応援や励まし、ご支援ご協力に支えられた私は本当に幸せ者です。

      私は以前、「ポジティブに、強気と努力と忍耐と少しの運があれば復活、さらに昇段までたどり着けるはず」と道場だよりに寄稿させていただきました。

      日々のリハビリと共に、基本や移動等で注意されたところは確実に修正し、他にも修正点がないか常に自分と向き合い稽古を積んできたつもりです。

      当然、数えきれない程の感謝あっての事ですが、敢えて言わせてください。
      『ほら、やれば出来るでしょ!』

      黒帯として恥ずかしくない力量・技量・気格を肝に銘じ、これからも精進してまいります。押忍。

      神奈川横浜港南支部

      菅 充

  • 清水 智之(初段) ※2018年11月昇段
    • この度は、昇段審査の機会を与えて頂きありがとうございました。
      羽田師範、宍倉師範代をはじめ、ご指導ご助言を頂いた先輩方、共に稽古で汗を流した上大岡道場生の皆様に深く感謝致します。

      私は高校一年生(36年前)の時に極真空手の門を叩きました。
      当時は近くに道場はなく、通うのに一時間半以上かかりました。
      高校を選ぶ時も、少しでも道場に近い学校を受験しました。

      それから数年間、断続的に道場に足を運びましたが、黒帯には届かずじまいのうちに、仕事上の都合で稽古を断念してしまいました。

      それから二十年以上が過ぎ、数年前に東日本大震災で、幼い頃からの友人を亡くしました。
      深い悲しみと共に、人の命の儚さを感じました。

      そして、「人生に悔いを残してはいけない」と痛切に思い『やり残しのない人生』について考えていました。
      その時に、二十数年前に断念した空手が頭に浮かびました。

      その気持ちがきっかけとなり、五年前に上大岡道場の門を叩き、懐かしい空手衣に袖を通しました。
      稽古を続けているうちに、若い頃より夢中になっている自分に気がつきました。

      また、壮年大会の存在を知り、入門一年後に金太郎杯に出場したのをかわきりに、横浜カップ、関東大会、国際親善大会、極真祭と多くの大会を経験させて頂きました。

      大会では結果よりも、この年齢になってこれほどの喜びや悔しさを味わうことができたことに驚きました。
      改めて、極真空手を再び始めて良かったと強く感じることができました。

      また、宍倉先生のご指導のもと、良き道場仲間と出会うことができました。
      空手を通じて喜びや苦悩を共有する仲間がいるおかげで、今回の昇段審査を乗り越えることができました。

      これからも、初心を忘れず、悔いのない人生を歩むべく、道場仲間と励まし合い、日々精進して参ります。

  • 菅 彩紅(初段) ※2018年11月昇段
    • この度は、昇段審査受審の機会を頂きありがとうございました。
      師範、師範代並びに関係者の皆様、長年ご指導いただきありがとうございました。
      そして、共に稽古を積み支えくれた家族にも感謝しています。どうもありがとう。

      小学校2年生の5月、私は父と弟の3人で極真空手に入門しました。
      入門からこれまで10年半の間に、高校受験、留学生活、大学受験、と多数の山を越えて培ったものが昇段審査に活かされたと思います。

      極真に入門して何年かが経過してからは、空手に行きたくない、痛いから嫌だ、稽古に行ってもどうせ女子来ないし男子ばっかりだから行きたくない、という思いがありました。

      私自身に明確なきっかけがなく、父により半ば強制的に空手を始めさせられたことから、当時の私は稽古に対してのモチベーションが一切無かったため、両親に尻を叩かれながら稽古に行っていました。

      高校2年次に、私はニュージーランドに留学しました。
      現地でも空手を続けたいと思い、体験稽古に参加をしましたが、実際は極真を標ぼうする全くの別物でした。
      このことにとてもショックを受け、横浜港南支部での稽古が恋しくなりました。

      私は現地校の英語の授業で、実演を交えたスピーチを行うことになり、空手を紹介しました。
      スピーチでは、クラス全員が興味深そうに聞いてくれたこと、そしてクラス全員が実演に参加をしてくれたことがとても嬉しかったです。
      この経験により、小さいながらも武道を修行する日本人としての誇りを持つようになりました。

      今回こうして昇段審査に挑む決断をしたのは、留学で多々経験し、そこで武道空手に対する誇りを持てたからです。
      これからは、黒帯を締めることの誇りと責任を胸に、武道を修行する日本人としての誇りにしていきます。

      来年からは大学生という今までとは全く違う環境の中ですが、おごらずに稽古に励んでいきます。よろしくお願い致します。押忍!

  • 岡田 雄登(初段) ※2018年11月昇段
    • 「継続は力なり」 

                                          

      この度は昇段審査の機会を与えて下さって本当にありがとうございました。

      私が極真会館に入門したのは5歳の頃です。
      当時よく泣いている子でした。
      そこで、心も体も共に強くなってほしいという親の願いから道場に連れて行ってもらったのが入門のきっかけです。

      しかし当時の私には空手というものがよくわからなかったので、 不安でいっぱいでした。
      先輩たちが稽古をしているのを見てとても恐怖感を覚えました。
      その道場の雰囲気がとにかく怖かったのです。

      正直、当初は空手を好きにはなれませんでしたが、同い年のライバル達もいて小学生の間はなんとか続けることができました。
      しかし、中学生になった時に空手を辞めたくなり親と一緒に先生に相談しに行ったことがあります。

      その時に先生が教えて下さった、「週1回でも月1回でも2か月に1回でもいいから継続することが大事だ。」ということは今でも忘れません。
      その言葉のおかげでなんとか空手を続ける決心がつき、行ける日は稽古に参加しました。

      自分が中学生になってから大人の方と一緒に稽古する機会が増え、新たな環境で稽古することで今まで以上に礼節や空手をやっている意味を学ぶことができました。

      継続するにつれ、今までやってきて良かったと思える瞬間がよくあり、同時に今まで指導して下さった先生や先輩方への感謝の気持ちでいっぱいでした。

      そのため、指導していただいたことを今度は私が後輩に教えることができましたし、より先生と先輩を敬うこともできました。

      昇段審査を受審できるとわかった時は入門当初を思い出します。
      当時夢にも思っていなかった黒帯が目の前にあるのが不思議な感覚でした。

      ですが今までやってきたことを信じ、いつも稽古でできていることを本番でできるように集中するだけでした。十人組手で相手をして下さった方には本当に感謝してます。

      昇段させていただいた時は、正直あまり実感がありませんでしたが、やっと極真空手の修行のスタート地点に立てたと思えました。

      空手を辞めないで続けていて本当に良かったです。

      これからは、いろんな人に支えられてここまでやって来れたという感謝の気持ちを忘れず、より強くより人に優しくなれる空手家になりたいと思います。押忍。

  • 小椋 隆雅(少年初段) ※2018年11月昇段
    • 僕が極真空手を始めたのは、3才のときでした。
      僕には7才年上の兄がいます。

      兄も4才の時に極真空手を始めていたので、入門する前から、僕は母と一緒に兄を迎えに道場に行ったり、試合の応援に会場に行っていたそうです。

      入門してからは兄と一緒に道場に通い、年上の道場生にもかわいがってもらい、とても楽しそうに稽古していたそうです。

      初めて試合に出たのは、横浜カップでした。
      僕は年中だったので中段前蹴りで負けてしまいました。
      もっと稽古しないと強くなれないと思いました。

      次の年、国際親善大会と極真祭の幼年の部で優勝することができました。
      その時はとてもうれしかったです。

      小学1年生になる時に、父の転勤でドイツのフランクフルトに住む事になりました。
      極真会館にはドイツ支部があるので、移籍する事になりました。

      ドイツ支部では英語とドイツ語での稽古だったですが、技の名前と号令は日本語だった事と兄が通訳してくれたので、困る事はなかったです。

      ドイツ支部では、フランスやポーランドなど、たくさんの国で試合もしました。
      言葉は分からないのですが、極真空手を習っているいろいろな国の人達と、「押忍!」だけで仲良くなれました。

      今回、昇段審査を受ける事ができたのは、羽田師範をはじめ多くの先生、先輩、一緒に練習してきた仲間達、家族のおかげです。本当にありがとうございました。

      これからは後輩達の手本となれるように、今まで以上にがんばっていきたいと思います。

  • 坂本康裕(弐段) ※2018年5月昇段
    • 極真空手を始めてから早くも12年目、初段になってから、今までたくさんの稽古があり今回昇段することが出来たと思ってます。

      小学校1年生から始めた極真空手。
      今も一緒に稽古をしている幼馴染に紹介してもらい見学をした時に「かっこいい!俺もこんなになりたい!」と思って入門しました。

      最初はやはり知らない人しかいなかったりわからないなどからすごく行きたくなかったのを今でも覚えています。
      理由として1番大きかったのは組手です。
      前は痛い痛いと言ってたまにそれを理由に行かない時もありました。

      始めた頃からなかなか強くなれなくて悩みました。
      それでも強くなろうと稽古を必死にやりやめたくなってもそこで追い上げたりして徐々に自分の中では強くなってきたのかなって思った時はありました。

      そして、中学2年生くらいの時に師範から声をかけてもらい指導補佐を始めました。
      そして、高校生から自分で指導してきました。

      指導の時は自分はわかっていても人に教える時はどれだけ分かりやすく伝えることができるかってことが大事な事だと思います。
      幼稚園小学生の子達には難しい言葉を使わずにわかりやすくするのと、すぐに疲れてきたりしてしまうのでたまに笑わせたり楽しい稽古にすることを心がけていました。

      極真空手と出会ってなかったら今の自分がないと思うくらい空手一筋だと自分でも思います。
      様々な人と出会い、稽古で汗を流し、交流を深め仲良くなり全てがここまで必要なものだったのかなと思います。

      これからも社会人になってから全然行けていないので出来るだけ時間を作り稽古に行きたいです。
      これからは初段の時以上に稽古に専念して試合で成績を残したりしていきたいです。
      押忍

  • 山本航暉(弐段) ※2018年5月昇段
    • この度は、弐段昇段ありがとうございます。
      今回の昇段審査では、黒帯になること、そして昇段することとは決してゴールではなく、新しい門をくぐることなのだと改めて強く実感しました。

       自分が初段に昇段したのは丁度6年前、12歳の時でした。

      今振り替えると、やはりそこは自分の空手人生でもターニングポイントだったと思います。

      恥ずかしながら、黒帯になってからも少し気が緩んでしまうこともありました。
      しかし、厚くて硬かった黒帯が柔らかくなるにつれ、後輩も増え、少しずつ黒帯としての自覚を得ていきました。

       この中でも大きな意味を持ったのは少年部の稽古の指導をしたことです。

      自分は、高校生のときに約1年半、所属している戸塚道場で毎週土曜日に幼年・少年クラスと青少年クラスの2コマの指導をしていました。

      後輩の前に立って指導することで、まず自分自身の技を見直し、説明することで基礎的なことから応用的なことを再確認し、後輩達の動きをどう改善すれば良いか見て考える上で、自分が無意識にやっている動きを意識化したりさらに理解を深めることができました。
      これは本当に貴重な経験でした。

        そして高校を卒業し、今回の昇段審査を迎えました。

      勉強もあり、なかなか稽古時間が取れない中、稽古に行かれない日も体を動かしたり公園で型をやったりと準備はしたつもりでしたが、やはりまだまだ足りませんでした。

      久しぶりの審査ということもあり、緊張して自分の力を発揮しきれなかった部分もあり、悔しい思いもしました。
      特に二十人組手は、今までにないほど厳しい試練となりました。
      しかし、周りの人のたくさんの協力があり、これを乗り越えることができました。

       幼少期から指導して下さった師範、師範代、先輩方、対戦者の方々、応援してくれた方々、志を共にした仲間、支えてくれた家族、このどれもが欠けても自分が昇段することはできなかったと思います。

      また、自分がここまで来れたのは、大人から子どもまで、今まで自分と一緒に空手をしてくれたみんなのおかげだと感じます。
      これからはよりいっそう、自分自身の空手の道を深めると共に、周りの人の空手人生にも自分の名前を刻めるよう、精進していきます。
      これからもよろしくお願いします。

  • 小林慎一(初段) ※2018年5月昇段
    •  私が、極真会館に入門したのは、2010年でした。
      当時、幼稚園の年中に上がった長男に空手を習わせようと思ったのがきっかけでした。

      私は、小学校から中学校まで伝統系の空手をやっておりました。
      その経験は、私に多くのものを与えてくれました。
      いざという時に、戦えるという気持ちを持つことができると、正義を貫いたり、物事に冷静に対処することができ、心の芯が強くなる。

      いじめっ子にも、いじめられっ子にも、卑怯者にもならず、自分に自信が持てる。
      私の幼年時代のように、ガリガリに痩せていて、おしゃべりな長男にはは、ぜひとも空手をやらせたかったのです。

       入門を検討し調べてみると、私の子供の頃と違い、私の住む本牧地区には多くの空手の道場がありました。
      ただ、ぜひフルコンタクト空手にしようと思い、2つの道場に絞りました。
      まず見学に行ったのが、自宅により近い横浜港南支部の本牧道場でした。

      土曜日の午前中の少年部の稽古に、私と長男、そして、小学2年生の長女と3人で見学させていただきました。

      指導されていたのが石田充道場責任者でした。
      それは大げさではなく、運命の出会いでした。とても丁寧で謙虚で快活で、本物の空手家としての風格に満ちあふれている。

      この先生の元でなら、安心して子供を預けられるし、子供と一緒にまた空手を習ってみたいと思えたのでした。

      一緒に行った長女もやりたいと言うことになり、見学予定だった他の道場に行くことなく入門を決めました。
      こうして、親子3人での稽古の日々が始まりました。

       さて、稽古をはじめてみると、やはり痛みに慣れていないので、組手は痛くて仕方がありませんでした。
      当時の体重は62キロだったのですが、体重を増やそうと決心しました。
      脂肪がつきやすくなった、と始めたダイエットをやめ、食事を増やしました。

      しかし、入門半年でみるみる痩せ、体重は58キロまで落ち、体脂肪を計ったところ5.9%でした。組手の運動量の多さを実感しました。

       長男は中学2年生になりました。相変わらず痩せていて、まったく強そうには見えません。
      しかし、戦えば自分の方が強い、という気持ち、まがりなりにも極真空手を8年間続けていて、毎週大人と組手をやっていることからくる自信は、計り知れないものがあると思います。
       
      高校生になった長女は、今でも道場に通いつづけています。少年部の子供たちとの交流が楽しいようです。
      美術予備校にも通っていまして、ダンスにような空手でない習い事をしていたら、今、絵を描いていなかったろう、と言っています。
      美術と空手は使う脳が違うので、良いのだそうです。

       本牧道場では、私をいれて、6組ものご家族が親子で空手をやっています。
      親子で一緒に、同じ道、しかも厳しい道を進むということは、素晴らしいことです。

      より難しいことに挑戦する。
      できなかったことが、できるようになる。
      お互いに教え合う、高め合う。親子がいくつになっても尊敬し合える関係を築けるのは、武道ならではだと思います。

       8年間、自分も、自分の子供も成長させていただきました。
      そして、様々な方が成長する姿も見せていただきました。

      少年部はもちろん、先輩の方々も、後輩の方々も、稽古で会うたびに成長しています。
      その姿を見ていると、自分ももっと成長しなければと思います。

       人の成長を見ながら、自分を見つめ直して、さらに成長していく。
      思えば、この人間成長のサイクルをつくってくださったのが、大山総裁です。

      松井館長が引き継がれ、そして、私たちに届けてくださっているのが、羽田師範です。
      数多くの方の、成長の総量と熱量が、いまの極真会館をつくり、それが日々の稽古の中に詰まっています。

       極真空手は、今でも、私に多くのことを与えてくれています。
      これからは、いただいたものを、少しでも人にお渡しできるように。
      明日からも親子3人で道場に通います。押忍

  • 吉田 寿(弐段) ※2017年11月昇段
    • 「生涯武道として」

      この度は、弐段への昇段審査を受審させて頂き誠に有難うございました。
      羽田シゲル師範、宍倉師範代には心から御礼申し上げます。
      また、御指導頂いた諸先輩方、一緒に稽古していただいた上大岡道場生の皆様に深く感謝いたします。

      私が極真会館に入門したのは、約37年前でした。昔から大山総裁に憧れて、「強くなりたい」と思い、22才の時に兵庫県で入門しました。

      入門初日に組手で茶帯の高校生にボロボロになるまで組手をしたことは今でも忘れません。強くなって必ず勝ちたいと稽古に励みました。

      25歳で初段を許され、黒帯を締めることが出来ました。それから約10数年に亘り稽古に励み、たくさんの大会にも出場させていただきましたが、子育てや転勤などで一度退会してしまいました。

      51歳で横浜に住居を移して、体力も落ちてきて体を動かしたいと思い、家の近くに極真会館の道場があることを知り、横浜港南支部に再入門を決意して上大岡道場を訪れました。

      宍倉師範代には、10年以上は空手から離れた生活をしていることや、体力的に自信が無いことを伝えたところ、「大丈夫です」と暖かく迎えていただいたことは、今でも忘れません。それからは、仕事、空手、家庭のサイクルで出直しの修業でした。

      10数年ぶりの稽古は、若い時とは違い、体も硬くなり、動きも鈍く、スタミナもなく、情けなくなるとともに、稽古に励みました。

      今回、昇段審査を受審にあたり、年齢も58歳になった時に、還暦前までには弐段を目指したいと思い、宍倉師範代に相談したところ、「頑張りましょう」と言って頂き、審査に向けての稽古の日々となりました。宍倉師範代より毎週連続組手の模擬稽古を付けて頂き、久しぶりの充実した稽古でした。

      昇段審査の連続組手では、道場の仲間の熱い応援もあり、無我夢中でやり抜くことができました。

      今回、弐段が許されましたが、極真にふさわしい「心・技・体」を目指して、これからも精進して参ります。

      これからも極真会館横浜港南支部の発展に、微力ながら頑張っていきたいと思う所存です。羽田シゲル師範、宍倉師範代、諸先輩方、今後ともご指導の程、宜しくお願い致します。

      押忍

      極真会館横浜港南支部
      吉田 寿

  • 真木 一拓(初段) ※2017年11月昇段
    • この度昇段の知らせを聞いた時私はとても嬉しかったです。
      私は6歳の頃に港南支部の泉道場にて、入門しました。最初の頃は空手があまり好きではなくいやいや行くことがとても多く、時には行きたくないと泣いたりしました。そのため稽古においても気合が入らずなかなか試合で勝つことができませんでした。
      ですが、私が小学生3年生の頃泉道場に岡野奨先輩が指導員として来るようになり、このことが私にとって大きな転機となります。先輩が指導についてから先輩は試合に出る度セコンドで応援してくれて、負けた時にはどうすればよかったとアドバイスをしてくれ、それにつながる稽古をしてくれました。そのうち私は試合で勝ちたいと強く思うようになりました。
      そのことを先輩に告げると先輩はとても嬉しい顔をして、毎日のように居残り練まで付き合ってくれました。そして、小学四年生の春、私は神奈川県新人戦武魂杯で第3位となりました。とてもとても嬉しかったです。
      しかしそれと同時に悔しかったです。次は優勝してやると思いました。しかしこれ以来、中学受験や中学での部活との両立の難しさや高校受験などで試合に出ることができていません。
      しかし今でも優勝したいという気持ちは変わっていません。なので、高校生になった今部活との両立に専念し、たくさん稽古を積んで大会で優勝したいです。
      また、これからは黒帯という自覚を持ち、今まで以上に稽古に対して緊張感を持って取り組んでいきたいです。
      今まで指導してくださった先輩方、10人組手の相手をしてくださった大人の方々本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。押忍!

      極真会館横浜港南支部
      真木 一拓

  • 岩崎 力也(少年初段) ※2017年11月昇段
    • 私が極真空手に入門した理由は、両親が「礼儀作法がしっかりしている子供になるように」と礼に始まり礼に終わる武道を何かひとつ習うよう勧めたからです。
      入門は小学2年生、その当時はただ「強くなりたい」そして毎日稽古に通うことによって稽古数が増え帯の色を変えることができる昇級審査を受けさせていただけるといううれしさから毎日道場に通っていました。
      ですが学年、級が上がり先輩になるごとに沢山の後輩ができ、後輩が憧れる立場に自分がなっているのだと実感しはじめた時からはとても重い責任を感じていました。
      そして自分が後輩に教える立場になると先輩の大切さを身にしみて感じました。
      中学生になると一般部に参加し始め色々な事を学ぶことができました。
      特に仕事が終わって疲れていても集中して稽古をしている大人の方々の姿は尊敬の一言でした。
      そんな大人になりたいと思い毎日稽古に励んでいました。
      昇段審査受審許可の手紙をいただいた時はうれしさと不安がありました。受験を控え勉強が忙しく稽古にあまり行くことができていなかったため気持ちや体力に自信がなかったからです。
      しかし両親が「お前ならできる」と言ってくれたため昇段審査を受けることにしました。
      審査当日は、私はどんな大会よりも緊張しました。
      10人組手は気持ちを切らさずなんとか乗り越えることができました。すると周りの方々から「頑張ったな」と声をかけてくださいました。その時本当に空手を続けてきて良かったと実感しました。
      黒帯を締めることを許されましたが初心忘れず黒帯の名に恥じないように頑張りたいと思います。
      最後になりますが今まで指導してくださった羽田師範、宍倉師範代を始め、先輩方、10人組手をしてくださった方々に感謝し、これからも空手に精進していきます。 押忍

      極真会館横浜港南支部
      岩崎 力也

  • 成田 海翔(少年初段) ※2017年5月昇段
    • ぼくは空手をいつ始めたのか今でも覚えていません。両親に聞くと、幼稚園生の頃に泣きながら連れて行かれたそうです。なぜ空手をするかも分からないため、道場では後ろの赤いマットで寝ていた事もありました。ぼくにも、この記憶は残っています。
       稽古を何度もしたり、審査を受けたりしていくうちに、空手に慣れて行きました。そして、初めての支部内試合に出場しました。その時はまだ青帯で苦手な突きがほとんど出せませんでしたが決勝戦まで行きました。しかし、そこで負けてしまい、結果は準優勝でした。この試合で勝ちたいと思ったぼくは、またこの試合に出場しました。しかし結果はまた準優勝でした。次こそは、という気持ちで出た三度目の試合でやっと優勝する事が出来ました。その時の嬉しさや感動は、一生忘れません。
       この嬉しさをまた感じたいため、ぼくは自分から試合に出たいと言いました。先生に、お母さんが出ても良いのかを聞いてくれた時に、先生は「小さい大会から出て行きましょう」と言ってくれました。そして、一年生の時に国際親善大会にも出場する事が出来ましたが、やはり世界のレベルはとても高く、二回戦までしか行けませんでした。二年生の時も三年生の時も、出れる限りは、全ての大会に出場しましたが、いつも結果は一回戦負けや二回戦負けでした。そのうちに試合に出るのが嫌になってきました。でも、先生や両親にはげまされ、試合に出続けました。
       変わって来たのは昨年の国際親善大会でベスト8に入った時からです。この大会から他の大会でもベスト8に入る事が出来ましたが、入賞まではあと一歩のところで敗れていました。
       そして今年は小学生最後の試合でした。一番早い国際親善大会は体重がギリギリで出れましたが、他の大会は出れそうになかったので、この大会で勝ちたい気持ちが強くありました。この日はとても調子が良く、一回戦を勝ち二回戦になると、より強くなっていけました。道場の先輩がずっとセコンドに入り応援してくれたおかげで、ベスト4に入り、嬉し泣きしてしまいました。そして、決勝まで行きました。結果は準優勝でしたがとてもうれしかったです。
       今回の昇段審査で合格し、合格祝いに先生から道着をもらった時は「やっと認めてもらえたんだ」と思いとてもうれしかったです。
      これからは、もっと認められるような空手をし、指導員になって、後輩を育てて行きたいです。

      横浜港南支部
      成田 海翔

  • 岸本 親幸(弐段) ※2017年5月昇段
    •  「憧れの極真空手」 

       高校1年で『空手バカ一代』を手にして以来、憧れ続けた極真会館に入門させていただいたのは20年前でした。覚悟を決めたまでは良かったのですが、稽古初日に基本稽古をリタイア。それから1年はまず基本稽古を最後まで続けることが私の目標でした。「今日は体調が優れず仕事に支障が出るといけないから」と、弱い自分に負けて道場の目の前で帰ろうと思ったことも何度かありました。
      それでも、帯が上がるに連れて、体力、気力も充実していくことが実感できました。そして、いつかはと思いながらも、自分には実現は難しいと考えていた極真空手の黒帯をいただくことができました。
      初段位取得から6年が経過し、弐段位昇段の機会をいただくことになりました。受審の申込みをしてからの2週間は、とにかく緊張しました。「型は大丈夫か、拳立ては、柔軟は」など情けない不安が頭の中を巡っていました。日頃の心掛けが不十分であることを大いに反省いたしました。審査では、まだまだ精進せねばと改めて思う機会になりました。
         
      この度、昇段の機会を下さった羽田シゲル師範に心より感謝申し上げます。また、改めまして、御指導下さる羽田師範、宍倉師範代をはじめ、諸先輩方、道場生、道場にかかわる方々、そして、家族に心より御礼申し上げます。20年間、極真空手を続けられたのは、皆様の支えがあったからです。大山総裁が築かれ、松井館長がお導きになる極真空手への私の『憧れ』は今も変わりません。極真空手という純粋に打ち込めるものに出会えたことはとても幸運であり、私の財産です。極真会館道場生の誇りを胸に、さらに精進し、極真会館の発展のため、横浜港南支部の発展のため、微力ではございますが貢献して参りたいと思います。押忍。

      横浜港南支部
      岸本 親幸

  • 山本 俊彦(初段) ※2017年5月昇段
    • 「昇段審査を終えて」

      押忍!この度は昇段させていただき誠にありがとうございます。この場を借りしてあらためて、これまでご指導頂いた羽田支部長、宍倉師範代、指導員の先生・先輩方、ともに稽古をした道場生の皆さん、また昇段審査の際に十人組手の相手や応援をして頂いた方々に御礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

      私と極真空手との出会いは、当時幼稚園児だった長男が興味を持ち、親として見学に付き添って行ったことでした。
      その後間もなく長男は入門、稽古を見学しているうちに、自分もやってみたい衝動にかられるようになりました。
      幼い頃は空手バカ一代のファンであり、極真空手に憧れは抱いていましたが、自分が入門するとは考えてもいませんでした。また歳も36歳、仕事を考えると稽古は行けて週一回、入門して果たして続けられるのか等、色々と悩みました。しかし、ここで諦めたら一生後悔すると思い、思い切って入門しました。
      初めの頃は見よう見まね、基本稽古だけでも息が上がってしまう状況でしたが、先生、先輩方の指導のおかげで徐々に慣れていきました。
      それから14年、稽古は週末のみ、それも行けないときもありながら、また、稽古や試合で何度か怪我もありながら続けてこれらのは羽田支部長、先生、先輩方のご指導は勿論ながら、家族の存在も大きかったと思います。
      普通の家族であれば、子供が週末どこか連れて行って、というところ、はじめは長男と二人で、途中から同じく幼稚園で入門した次男も加わり三人で週末は空手の稽古に行くことが当たり前のイベントとなりました。
      また、そんな我々を毎週気持ちよく送り出し支えてくれた妻のサポートも力となりました。
      その息子達二人は、成長して黒帯と茶帯を締め、他の方々とともに私の十人組手の対戦相手となってくれました。
      あらためて、この度は昇段させて頂き誠にありがとうございました。押忍!

      山本 俊彦

  • 長田 誠(初段) ※2017年5月昇段
    • 「苦節20年の末に」

      まずは、昇段審査受審の機会を与えて下さった羽田シゲル師範に対し、深く御礼申し上げます。また、これまでご指導下さった諸先輩方、道場生の皆様にも御礼申し上げます。

      私が空手に出会ったのは、大学1年生のときでした。フルコンタクト空手のサークルに入り、空手に明け暮れる毎日でした。もっとも、同じサークルの仲間の中には、極真の道場にも通っている人も何人かいて、その人たちから道場の話を聞いたり、「空手バカ一代」を読むなどした結果、極真に憧れを抱くようになり、「いつかは極真会館に入門するぞ」と思うようになっていました。

      その後、憧れの極真会館に入門できたのは、極真に憧れを抱いてから10年後のことで、高知支部(当時)に入門しました。7級まで昇級した後、仕事の都合で横浜港南支部に移籍しましたが、当時の仲間とは未だに付き合いがあります。

      高知には、極真会館の支部は一つしかなく、特に迷うことなく入門したのですが、横浜に引っ越してきてみるとたくさんの支部があり、どの支部に入門したものか迷いました。
      結局、自宅や勤務先からの距離や、実際に師範とお会いしてお話をさせて頂いた印象から、横浜港南支部に入門することにしました。

      スパーリングが怖くて道場に行けなかったこと、仕事や家庭の事情で思うように道場に行けなかったことなどありましたが、師範や先輩、仲間に励まされながら何とか現在まで続け、入門してから10年目にして昇段を許されました。

      僅か10年かもしれませんが、一つのことを継続できたことは、素敵な出会いとともに大きな財産となっています。

      これからが始まりだということを肝に銘じ、稽古に精進したいと思います。押忍!

      長田 誠/初段/横浜港南支部