支部長コラム 「相対評価と絶対評価」
2008年5月発行の道場新聞港南瓦版に掲載
私が子供の頃、学力評価は「相対評価」という方法で行われていた。
相対評価とは、''全体を特定の割合で振分け、
1(最低)~5(最高)などの評価をつける制度''である。
極端に言えば全員が満点だったとしても何かしらで差を見つけ、
「1」~「5」の評価を下さなければならない。
したがって相対評価での「5」という評価は、
自分がクラス(属するグループ)の中で上位にいるという事に過ぎず、
もしもクラスに優秀なメンバーが
多く属していれば評価は当然下がることになる。
つまり相対評価は所属するグループ(クラス)中で、
自分がどの位置にいるかを知るものに過ぎない
「危うい評価」であると言える。
一方、2000年頃から学校教育の現場で採用されている
「絶対評価」は個々の学力(能力)を特定の基準に基づいて評価する方法で、
基準に見合った能力が認められれば、全員が「5」にもなり得る評価方法である。
その評価基準の設定と精度には若干課題が残されるものの、
自分の実力を知るには明確な評価方法だ。
さて、それら2つの評価方法を空手修行において考えてみたい。
まず、私達が入門時に志した強さは揺るぎない
「強さの絶対値」への願望だったのだと思う。
ただ純粋に「強くなりたい」との思いは、
「友達の~~君より」という相対的な目標ではなかった筈だ。
少なくとも私はそうだったと記憶している。
反して、試合の結果というは相手が弱ければ勝ち、
相手が強ければ負ける相対的結果だと言うことが出来る。
大会という特定の条件下に身を晒(さら)し「自分を問う」ことは、
修行者として非常に価値のあることではあるが、
努めて自分の中に揺るぎない志(評価基準)を持って臨まないと
勝敗という相対的な結果に一喜一憂してしまうことになる。
自分の中にそうした基準が確立されていれば・・
「優勝しても落ち込む、悔しがる」
「1回戦負けしても満足して喜ぶ」
そんなこともあり得るのではないだろうか。
人が下す評価を謙虚に受け止めながらも、
誰が何と言おうともブレない自分への評価も持っていたいものだ。