支部長コラム 「北京五輪に思う」

2008年8月発行の道場新聞港南瓦版に掲載

東京・ソウルに続くアジア3カ国目の五輪開催となった、
中国・北京オリンピックが閉幕した。

世界中のトップアスリートが磨き抜いた
「心・技・体」を発揮し全力で戦う姿には、
誰もが心を揺されたことだと思う。

さて、私たちはそのオリンピックの何に感動するのだろうか。

競泳で見事8冠を達成し「水の怪物」と称される、
アメリカのマイケル・フェルプスがいくら速いと言っても、
イルカやサメの足下にも及ばない。

陸上短距離で3種目を世界新記録で制した
「人類最速の男」ジャマイカのウサイン・ボルトでさえ、
ウサギと競走して勝てるかどうかは微妙なところだろう。

決して選手の能力や競技を否定するつもりはないが、
動物としての単なる『 速さ 』だけを比べるのは、
馬鹿馬鹿しいことに思えてならない。

尊いのは「速さ」そのものではなく、
それを生み出すために追求・研鑽を重ねた「生きざま」にあるし、
見る者は選手の競技姿にそれを映しているのだと思う。

イルカはイルカ以上に速く泳げるようになれないし、
ライオンはライオンより強くなることは出来ない。

彼らは持って生まれた能力のままで生きていくことしか出来ない。

しかし、人間は才能や能力のシナリオを
自分の意志で書き換ることにより、人間以上に速くも強くもなれる。

それは地球上で唯一、人間だけに許された特権であろう。

極真会館に入門して得るものが、肉体的強さだけであって欲しくはない。

空手は武術であり強さを追求することは当然だが、
単なる強さの修得のみに終ることなく、
その過程で出会い育むものを大切にして欲しい。

自分で「出来ない」と決めつけてしまい、
挑戦を止めることは人間に許された特権を放棄することに等しい。

失敗から学ぶものは多いが、挑戦をしなければ『失敗すら出来ない』

昨今、耳にすることが少なくなった
「オリンピックは参加することに意義がある」
という言葉の重さに今更ながら気付かされた。



「>>>支部長コラム」のトップページへ