支部長コラム 「お金の先にあるもの」

2011年8月発行の道場新聞「港南瓦版31号」に掲載

給料、小遣い、代金、運賃、会費、参加費、ご祝儀、香典、お見舞金、寸志など…。
お金はその用途によって呼び方が数多くある。

「名は体を表す」という言葉の通り、
その名付け方で、お金に意味付けが決まるのだと思う。

我々はお金を使うことで欲しいものを手にし、したい事が出来る。

また、愛情・感謝・祝福など、形の無い「思い」を伝える手段としてもお金は使われる。

言い換えれば、お金に「氣」を乗せて送っていることになる。

東日本大震災の被災地へ送る「義援金」もその名の通り、
条理から生じた支援の気持ちをお金に込めて届けているのだと思う。

きっと我々は、お金そのものが欲しいのはなく、
''お金で交換出来る物や体験、お金があることで得られる安心が欲しいのだろう。
''
極真空手の創始者・大山倍達総裁の言葉、
金銭は尊いものだが、決して執着してはならない」は、

お金自体よりもそれを通して得られる「モノやコト」が尊いものであることを意図しているのだと思う。

また、大山総裁は、
君たちは自分の外に財産を作るよりも、自分の中に財産を築かなくてはならない、それ財産は誰も盗むことは出来ないよ。

とも言っていた。
本当の意味での豊かさを改めて考えたくなった。



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