極真の歴史

1923年 7月 大山倍達誕生。
1943年 日本航空隊に入隊。
1945年 終戦。
1946年 4月 早稲田大学体育学科入学。
10月 同校を中退して身延山に入山、武道精進に励む。
1947年 9月 京都丸山公会堂での全日本空手道選手権に出場して優勝。
1948年 4月 生涯を空手にかける決意をし、清澄山入山。18ヶ月の修行を行う。
1951年 5月 米軍の要請に応え、進駐軍の兵士達に空手を指導。
1952年 3月 シカゴの空手協会から招かれ渡米。11ヶ月に渡り、全米演武と空手の指導を行う。
1954年 4月 東京、目白に野天に、大山道場の看板を正式に出す。
1956年 6月 大山道場、立教大学裏の古いバレエスタジオを借りて稽古を始める。総数300人強。この道場が現在の極真会館総本部の前身。
1960年 何度かの海外遠征を経て、この年にはアメリカ、ヨーロッパなど16カ国に合計72の支部が発足。
1963年 アメリカ、ヨーロッパ、南アフリカ各地を遠征。大山道場手狭になり、豊島区西池袋の現在地に国際空手道連盟極真会館総本部を建設するために、工事に着手。
1964年 4月 国際空手道連盟極真会館の会長に佐藤栄作氏(当時国務大臣)、副会長に毛利松平氏就任。財団法人極真奨学会の名称を冠する。
1965年 6月 極真会館総本部竣工。国際空手道連盟極真会館を正式に発足。
1966年 9月 第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会を、東京体育館で開催。7,000人の観衆を集める。以来毎年開催される。
1972年 10月 当時、皇太子であったスペインのカルロス国王が来館。名誉三段を贈る。
1974年 5月 ホテルオークラにおいて、シャーラム・イラン皇太子夫妻に演武を披露。同皇太子に名誉二段を贈る。
1975年 11月 第1回オープントーナメント世界空手道選手権大会を開催。以後4年に1度開催される。
1978年 7月 第1回サイレント(聾唖者)空手道選手権大会開催。
1979年 7月 ソ連大使館において大演武会を行う。
11月 第2回オープントーナメント世界空手道選手権大会を開催。優勝は中村誠。
1980年 5月 毛利松平氏が第4代の日本武道館理事長に就任。
7月 中野刑務所で受刑者を前に講演、感謝状を送られる。
1981年 6月 サウジアラビアのファサイル皇太子が来館。
1983年 2月 フランス空母ジャンヌダルク号艦上にて演武会。
6月 第1回ハンガリー空手道選手権大会開催。共産国で初めての大会。
12月 ネパールのディエンドラ皇太子が来館。
1984年 1月 第3回オープントーナメント世界空手道選手権大会を開催。優勝は中村誠。
4月 田中角栄元首相と対談。
1985年 11月 第3回全ヨーロッパ空手道選手権大会開催時、スペイン、バルセロナにてサマランチIOC会長と対面 。
1986年 5月 松井章圭 100人組手達成。
1987年 11月 第4回オープントーナメント世界空手道選手権大会を開催。優勝は松井章圭。
1988年 9月 日本のすべての都道府県に極真会館組織が確立。
12月 サマランチIOC会長に書簡を送り、空手、カンフー、テコンドーのオリンピック公開競技参加問題について提案。
1990年 5月 ソ連ウクライナ共和国で開催された武道フェスティバルに代表団を派遣。
11月 ソ連スポーツ省の幹部が来日、対面 。
1991年 5月 モンゴルに正式な極真会館組織発足。
11月 第5回オープントーナメント世界空手道選手権大会を開催。
1994年 4月 大山倍達肺癌のため死去。
6月 故大山倍達の遺志により、後継者として松井章圭が指名され極真会館館長に就任、現在に至る。
10月 第26回オープントーナメント全日本空手道選手権大会開催。全国128名の選手が出場。観客動員数16000人。
1995年 5月 フランシスコ・フィリオ、八巻建志、100人組手完遂。
6月 第12回オープントーナメント全日本ウエイト制空手道選手権大会開催。全国195名の選手が出場。観客動員数1万人。
11月 故大山倍達亡き後、初めて世界大会にあたる、第6回全世界空手道選手権大会開催。優勝は八巻建志。世界71カ国より168名の選手が参加。
1996年 1月 国際空手道連盟極真会館の大会ルールであるフルコンタクト(直接打撃制)をはじめて、女子の世界大会に導入し、第1回全世界女子空手道選手権大会をニューヨークにて開催。23カ国から102名の選手が参加。
6月 第13回オープントーナメント全日本ウエイト制空手選手権大会を大阪で開催。248名の選手が参加。6,000人の観客動員。
11月 第28回オープントーナメント全日本空手道空手選手権大会を東京で開催。128名の選手が参加。2日間の延べ観客動員数13,000人。
1997年 4月 97全世界ウエイト制空手道選手権大会を両国国技館で開催。全世界8地域より90名の選手。観客動員数9,000人。
1998年 2月 第一回極真際開催
12月 極真会館型競技委員会発足。
1999年 3月 総本部道場を現在の西池袋2-38-1に移転。
数見肇が極真史上8人目となる100 人組手完遂。
5月 ウクライナ・キエフにて99全ヨーロッパ選手権大会開催。
6月 ニューヨークにてアメリカズカップ99を開催。
7月 東京・新宿にて第1回極真会館型講習会を実施。
10月 JR山手線全車両に第7回世界大会をPRしたADトレインが発車。
11月 東京体育館に3日間計23,000人の観客を集め、第7回全世界空手道選手権大会が開催され、フランシスコ・フィリォ(ブラジル)が外国人として初めて世界チャンピオンの座に就く。
12月 4年後の王座奪還を目指し、極真会館強化選手委員会が発足。
2000年 東京・代々木第2体育館にて第3回極真祭開催。
3月 極真会館審判審議委員会発足。
5月 第6回全日本青少年空手道選手権大会開催。
6月 第17回全日本ウェイト制空手道選手権大会開催。
8月 福島県いわき市にて第1回全国強化選手合宿を実施。
11月 第32回全日本空手道選手権大会開催。木山仁が初優勝。
2001年 4月 第4回極真祭&第18回全日本ウェイト制空手道選手権大会を東京・代々木第2体育館で開催。
5月 第7回全日本青少年空手道選手権大会開催。
6月 第3回全世界女子空手道選手権大会が大阪で開催。
大阪にて第2回全世界ウェイト制空手道選手権大会開催。木山仁が軽重量級で優勝し、第1回の中量級に続き2階級制覇を達成。
9月 米国ニューヨークにて、同時多発テロから10日後にアメリカズカップ開催。
11月 第33回全日本空手道選手権大会開催。木山仁が全日本2連覇達成。
2002年 2月 ロシアンカップ2002をモスクワで開催。
3月 極真パリ国際空手道選手権大会をフランス・パリにて開催。
モスクワにて青少年空手道選手権大会開催。世界8ヵ国が参加。
4月 福岡で第9回全アジア空手道選手権大会&第5回極真祭開催。
第8回全日本青少年空手道選手権大会開催。
5月 ロシア・ハバロフスクにて大山カップ開催。
6月 大阪にて第19回全日本ウェイト制空手道選手権大会開催。
アメリカズカップがオールアメリカン・オープンと名称を変更し、米国ニューヨークにて開催。
8月 パシフィコ横浜にて第10回全関東空手道選手権記念大会開催。
ブラジル・サンパウロにて第2回極真ワールドカップ開催。ブラジルが悲願の初優勝。ロシア準優勝で、日本は3位。
11月 第34回全日本空手道選手権大会開催。数見が5度目の優勝を飾る。
2003年 4月 第9回全日本青少年空手道選手権大会開催。
第6回極真祭を愛知県名古屋市にて開催。
6月 第8回世界大会日本代表の最終選抜となる第20回全日本ウェイト制空手道選手権大会開催。
ニューヨークにてオールアメリカン・オープン開催。
10月 日本代表選手団が大山総裁修行の地・千葉県清澄で強化合宿。
11月 全世界から240 名が参加し、第8回全世界空手道選手権大会開催。木山仁が優勝を飾り、日本が王座奪還に成功。
2004年 3月 ロシア青少年大会。
4月 極真空手発祥の地・千葉県清澄山に松井館長と木山仁が世界大会優勝報告。
大山倍達総裁十年祭にフィリォ、木山仁ら約200 名が出席。
5月 第10回全日本青少年空手道選手権大会開催。
6月 第21回全日本ウェイト制空手道選手権大会開催。
オールアメリカン・オープン。
7月 紛争下のチェチェン共和国にて国際親善試合を開催。
8月 第7回極真祭開催。
9月 全国強化合宿を伊豆にて実施。
10月 テレビ東京にて極真専門番組『一撃入魂』の放送スタート。
邦画『お父さんのバックドロップ』にテイシェイラ、磯部清次師範が出演。
11月 第36回全日本空手道選手権大会開催。田中健太郎が初優勝。
全ヨーロッパ選手権大会をポーランドにて開催。
第10回全アジア選手権大会。
新潟中越地震被災者支援チャリティーとして関東錬成大会開催。
2005年 2月 静岡県伊豆にて第3回全世界ウェイト制日本代表強化合宿実施。
3月 兵庫支部にて日本代表最終合宿。男女25名が参加。
4月 第5回女子全世界空手道選手権大会、壮年国際空手道選手権大会、国際青少年空手道選手権大会を東京体育館にて開催。
5月 第3回全世界ウェイト制空手道選手権大会開催。
第3回全世界ウェイト制大会にて、フランシスコ・フィリォに特別功労賞と五段が松井館長より授与される。
6月 第22回全日本ウェイト制空手道選手権大会開催。
8月 京都府立体育館にて第8回極真祭開催。
9月 群馬県水上にて秋季全日本強化合宿を実施。
10月 『Ichigeki PLAZA』開設記者発表。アサヒ飲料とのコラボでスポーツ飲料の開発、翌年4月の国際青少年大会開催を発表。
11月 第37回全日本空手道選手権大会開催。内田義晃が初優勝。
2006年 1月 Ichigeki PLAZA内の本部直轄恵比寿道場が鏡開き。
4月 第2回国際青少年空手道選手権大会を千葉・幕張にて開催。
5月 アサヒ飲料と極真会館との共同開発によるスポーツドリンク『アサヒICHIGEKI』が全国発売。
6月 第23回全日本ウェイト制空手道選手権大会開催。
9月 群馬県水上にて秋季全日本強化合宿実施され、男女25名が参加。
10月 第9回極真祭開催。約700 名が参加
11月 翌年の第8回全世界大会の選考を兼ねた第38回全日本空手道選手権大会開催。内田義晃が2連覇を飾る。
南米チリにて南米選抜選手権開催。
イタリアで開催された全ヨーロッパ選手権。
2007年 1月 総本部にて海外からの空手留学生のための短期研修制度がスタート。
4月 第3回国際青少年空手道選手権大会、第6回女子全世界空手道選手権大会、壮年国際空手道選手権大会開催。