闘病日記(その1)

2022年8月8日記述)2021年2月末、食事中に突然倒れ、救急車で運ばれ入院、その後、半年以上を経て退院して自宅でリハビリをし、先日の昇級審査会で復帰するまでの闘病・リハビリの記録をブログに残すことにしました。
まだまだ途中とはいえ、ここまで支えてくれた家族への感謝を記したいと思います。加えて、私が緊急入院をした、あの日から今までずっと道場を守り、支え続けてくれている師範代、指導員の皆さん、支部長不在の中で稽古に励んだ道場生、深くご理解頂いた保護者の皆さんへの感謝の気持ちを伝えたいです。

発病)その日は突然来た。
2021年2月某日、その日は普通の日曜になる筈の日でした。
何もない日曜日は、午後に早めの夕食を食べながら、一杯呑るのが常となっていました。春が近付き暖かな日だったので、午後の散歩を兼ねて駅まで歩き少し汗ばんだことを覚えています。

死に損なった日曜日。
「なんでもない日常がどれだけありがたいのか…」

〈発症〉死亡率は65.1%
私を襲った脳出血という病は、調べてみると、死亡率が65%(発病すると3人のうちの2人が死亡する恐ろしい病気で、私が死なずに済んだのは、一緒にいた元看護師の妻のお陰に他なりませんでした。倒れた時に素早く救急車呼んでくれましたし、その後の介護・リハビリ生活でも大活躍してくれました(感謝)。もしかしたら、私の葬式で師範代か指導員が弔辞を読んでくれていたかもしれないと考えるとゾッとします・・。

さて、飲み始めて、とりあえずのビールを2口ほど飲んだあたりで、私は身体に異変を感じました。
ゾクゾクとした生まれて初めて感じる何とも言えない痺れでした。
例えるならば、手のひらサイズの10匹の蜘蛛が皮膚の上を不規則に歩き回っている感じでした。いま思い出してもゾッとする忘れられない感覚でした。

その痺れは[(おそらく)1分程続き、その後治まりましたが、私は妻に心配を掛けまいと平静を装いながら、飲みたくもなくなってしまったビールを笑顔で飲みながらスマホで写真を撮ったりしていました。
そうしているうちに、徐々に手指が言うことが利かなくなって、あれ?おかしいぞっと思った次の瞬間、身体が全くいうことをきかなくなり、アレ?マズいーッと、お店の椅子から床に転げ落ち、硬い床に叩き付けられました(とは言っても全く痛みはありませんでした。恐らく既に感覚が無くなってしまっていたと思われます。)間を置かず「すみません‼︎ 救急車を呼んで下さい! 」と妻の声が聞こえてきました。
それから救急隊員が到着する間に妻が会計を済ませてくれました。
救急車が到着し、ストレッチャーに乗せられ救急車に乗る時も意識もはっきりしていましたし、隊員の方との受け答えもしっかり出来ていたと思います。
救急車で会話をしていると、間もなく病院(横浜市立脳卒中神経脊椎センター)に到着しました。
そこから長〜い長い入院生活がはじまりました。(つづく)